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2005年10月18日
Aサイン・ブートレッグ~オキナワン・ヒップホップ
僕が高三か大学一年の頃だったでしょうか。国際通りのレコ屋
「フリーク・ショウ(現・ナハ・シティ・レコーズ)」で買った一本のカセットが
その後の僕のコラボ魂に火を着けたのです。
そのカセットの名は
「Aサイン・ブートレッグ」
当時沖縄で初めて作られた日本語ラップのコンピでした。
M.U.や風神雷神、C響、Sister MAYUMI、GLAND SOUL(現SOUL CAMP)、
DJ Hinga HIGA、核弾頭、KG(現KZ)等の
音源が収録されていたと思います。
「沖縄でもこういうことをやっている人達がいるんだ!」
当時の僕は凄く勇気付けられ、インスパイアされました。
その後第二弾はCDでもリリースされ、後にリリースされる「バイオレット・リズム」や
「オリオン・ビート」へと繋がっていきました。
まだまだ沖縄では単独音源を出すヒップホップのアーティストが少ない中で、
当時のシーンを記録するという意味で、非常に貴重で画期的な作品だったと思います。
その頃には既に沖縄独自のテーマやウチナーグチを使ってラップしている人たちは沢山おり、
僕自身もその様なシーンに影響を受け、またそれを記録・紹介したいという思いから
1stアルバム「カーミヌクー」で、県内のラッパーを沢山ゲストに招いたという経緯がありました。
あれから五年くらいは経ったと思いますが、
先週の日曜日、那覇ムンドにて
オキナワン・ヒップホップ伝説のイベント
「Aサイン・ブートレッグ」は復活しました。

フライヤーを見る限り、当時のメンツは全て若手に入れ替わり、
かなり「世代交代」を意識させる内容になっていました。
僕が注目していたのは、「South天加那志」にも参加してくれたAWICH、そして
世界のウチナーンチュ魂を感じさせるアメリカ育ちのオキナワン・ラッパー
KEN a.k.a QUIKK(写真)とSEKAIでした。

英語と日本語を操る彼ら(彼女ら)のステージは、
けっこうきっちりとしていて予想通り惹きつけるものがありました。
その他にも、日本語とスペイン語の二ヶ国語ラップを聞かせてくれたDASTAMASや、
タワレコ那覇店でも大注目のSUBMARINE、基地内からOKIZOOクルーなどが出ていました。
でも特筆すべきは、イベント会場の外で
フリースタイルの人だかり(サイファーと言うんでしょうか?)が出来ていて、
イベントに出演していないラッパーたちがヒューマン・ビートボックスで
フリースタイル・バトルを繰り広げていた事です。
どんどん若手が出てきて、ラップ人口が増え、かつ細分化しており、
良くも悪くも一つにまとまらない現在の沖縄のヒップホープ・シーンを
象徴しているように感じました。
確実に平均レベルは上がってきているようです。
ただ音源がまだ全然無いのが残念でなりません。それはこれからの課題だと思います。
その点については
KEN a.k.a QUIKK、やSEKAIなどが自分達でレーベルを立ち上げ、
きちんとした名刺代わりの音源を作っていたことには感激しました。
凄く頼もしく思いました。
今は沖縄のヒップホップは激動期・転換期あるいは全国的な意味では黎明期かもしれません。
下克上が起こりそうな感じといえば想像してもらいやすいでしょうか。
ラッパー人口がどんどん増え、フリースタイラーのレベルも上がってきた今、
初めに沖縄からアルバムを出して全国区で勝ち上がっていくのは一体誰でしょうか?
時間の問題だと思います。ヤバイやつはいっぱいいる。
あとはチャンスを掴み、意思を継続できるかどうか。(これは僕達にも言えることですが)
色々考えさせられる事が多かったイベントでした。
今後も継続していけるのでしょうか。
少なくとも、「誰が今の沖縄のシーンを代表しているのか」という答えを知るには
もう少し時間と労力が必要な気がしました。
ショウの最後には、僕たちもAWICHのステージに飛び入りして「South天加那志」を
歌わせてもらいました。
KAYAさん、AWICHに感謝。
投稿者 akagawara : 2005年10月18日 17:18
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